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前生 [日記]

江戸期は概して冷涼だった。
アイスランド火山の噴火、
エルニーニョやらもあったが、
地球が寒冷化の周期であったためとも言われる。

農民の自立により、稲作は個々のスキルに依存が高まり、
また個々の不作への備えは充分でなくなっていた。
新田開発での石高増は幕府に黙認されたため、
各地で無茶な新田開発がなされ、
時に無理な治水により暴れ川となっていた。

江戸期だけで数十回の飢饉があったと言われ、
すなわち数年ごとにコメが不作だったのだが、
被害が甚大だった順番に3大飢饉とか4大飢饉と
ネーミングされている。

その記録は丁寧に削除され、
削除し損なった記録のみ現存するが、
阿鼻叫喚、地獄絵図そのものだ。
戦場のほうがはるかにマシ、だとか。
寄生獣の描写なんか、
それに比べたら軽いもんだ。

例えば江戸に出回るコメはほぼ仙台産だった、
という記録はばっちり残っているが、
経済を稲作に頼りすぎていたため、
凶作のダメージは甚大だったことは想像にたやすい。
しかし近代のコメ品種改良による耐冷化と美味さもあり、
やませの直撃を受ける東北太平洋側ですら、
いまやコメの大産地である。
稲作農家にですら、江戸期の悲劇は伝承されてなく、
それは大飢饉の現場であり当事者でもあったろうから、
語るのは禁忌という風潮でもあったのかも知れない。
寺院に残る大岩に誰も手入れなく風化しながら、
大飢饉の犠牲者を弔う文言がかろうじて読み取れるという。

耐冷性稲の研究には満額の国庫がさかれ、
一方で減反政策。
きょうび、すでに古すぎてどうもならん矛盾点だが、
前段は消去された江戸期大飢饉への
ささやかな供養なのかも知れない。

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